2005 3.災害に強いまちづくりとその合意形成について/ 「交通工学」 2005年5月

災害に強いまちづくりとその合意形成について

(本稿は「交通工学」2005年5月号の巻頭言として掲載されたものです)

東京女学館大学国際教養学部教授

小 浪 博 英

1.はじめに

 平成16年は多くの台風による未曾有の風水害、10月23日の中越地震など、記録ずくめの災害に見舞われ、1年間の印象を表す漢字も「災」とされた。また、海外でも12月26日にスマトラ島沖合でM9.0の巨大地震が発生し、大津波により観光客を含む30万人を越える人々が犠牲となった。これら一連の出来事は、阪神淡路大震災の時、中村英夫先生が「絶対壊れないものを人間の力で作るのは至難の業だということが良く分かった。」とおっしゃっていたのを彷彿とさせ、特に山古志村の被災写真を見ると、「何もここまで壊さなくても」といいたくなる。更に今回の災害で特徴的だったのは映像での記録であろう。山古志村の映像と並んで、スマトラのアチェを襲った津波の映像は、海水があっと言う間に建物一階分の深さとなり、木や瓦礫や自動車を浮かべて大洪水の如く押し寄せていた。映像が残す印象の強烈さを見せつけられ、また、これを忘れてはいけないと心に念じた年末であった。

 さて、私自身は旧建設省土木研究所で阪神淡路大震災の報告を監修させていただいたものの、防災の専門家ではないので発言する資格が無さそうに感じているが、都市計画家としての見地から若干の提言をしたい。

2.阪神淡路大震災の教訓

 1995年1月17日、筆者が神戸の地震のことを知ったのは午前7時のテレビニュースである。その時は「震度5程度で数人の犠牲者が出ている模様」という、随分ととぼけたニュースであった。同じ刻限に某大手スーパーでは社長の「壊滅部隊からの報告は届かない」という戦争経験に基づいて神戸中心部壊滅をいち早く察知し、全国から食料等の支援物資を阪神に向けて輸送すべき準備が始められたという。この違いは、多分、経験のない者が机上でマニュアルやら放送規範などを作って、それをひたすら守ったことによるのであろう。先人の経験に耳を傾け、その教訓を無駄にしないことの重要性が指摘できる例である。

 次に、倒壊建物の梁や倒壊した家具に押さえられて脱出できない人を助けるのに、自動車のジャッキが随分役に立ったそうである。自動車のジャッキであれば多くの人が所有していて、かつ燃料や電力を必要としないので、大変頼りがいのある道具である。パワーシャベルなどの多くの建設機械は、当初は有用であっても、やがて燃料切れを起こしたそうである。運転しない人でも自動車のジャッキの使い方を日頃から練習しておく必要がある。

 第三に情報である。現在では端末の普及台数が多すぎて駄目かもしれないが、携帯電話が随分活躍したと聞いている。仮にいくつかの中継基地が損傷したとしても、携帯電話の無線の威力と複数中継基地が同時に活用できる特性を考えると、やはり現在でも緊急情報ネットとしては有力であろうと考えられる。仮に通話機能が利用できなくとも、メールによる通信機能は利用できることが知られている。各人携帯メールに精通しておくことが望まれる。

 第四にまとまった空地である。特に駅前広場は住民が日頃から利用していることによって、いざという時にも参集してくることが分かった。それは、いわゆる乗車習慣というようなもので、情報や救援物資を得るのに「とりあえず駅前に行ってみよう」という心理が働くのではないだろうか。詳しいデータは手元にないが、震災直後の救援基地として、また、後日における臨時バス発着所として、概ね5000㎡以上の駅前広場は有効であったと聞いている。それより狭いと混乱の方が大きくなって使いにくかったそうである。これは、計算上5000㎡は要らない場合であっても、なるべく広場は5000㎡以上確保して欲しいという示唆である。

 第五に災害救助船である。我が国は海に囲まれていて、多くの災害は海岸を有するところで発生している。以前から旧国土庁を中心として大型の災害救助船建造の提案はあるのだが一向に実現しない。ヘリポート、通信基地、医療基地、宿泊所、汚物処理所、ゴミ消却所、発電所、仮桟橋など、その用途は極めて広く、神戸においても大型の客船が宿泊場所として大活躍したことは記憶に新しい。もしこれが出来ていたなら、今頃インド洋で大活躍していたことであろう。平時は研修や訓練に使えば良いのである。

 第六に道路の幅員である。神戸市街地での調査結果によれば、大震災の直後において、幅員4メートル未満の道路はその半分近くが瓦礫や倒壊家屋等のため歩行者でさえ通ることが出来ず、幅員が10メートル以上あれば自動車であっても瓦礫をよけながら何とか通れたというデータがある1)。宅地整備において一般的には住宅地で幅員6メートル、商業地で幅員8メートルは最低水準とされているが、これはこのような被災時において生死を分けるくらい重要な問題なのであって、地権者の要望によって安易に幅員を狭くしてはいけないという教訓であろう。

 第七に区画整理である。1995年1月20日と21日に実施された建設省都市局のメンバーによる被害調査の結果によると、特に長田区及びその周辺の区画整理等による市街地整備の行われていない地域において、広範囲にわたって家屋の倒壊、焼失等による集中的被害が見られたとされている2)。戦災復興に引き続く都市改造土地区画整理事業の提案はあったはずであるが、それが実施に至らなかったのは甚だ残念である。これからの区画整理は特に防災と景観に重点をおくこととなりそうなので、未整備市街地はこの機会に区画整理の実施を検討する必要がある。また、区画整理は居住者が存続するのでコミュニテイが破壊されずにすむという大きな利点がある。

3.合意形成について

 旧聞になるが、1965年1月11日、伊豆大島の元町で大火があった。このときの住民合意に最も有用であったのが、実は模型である。復興区画整理といえども権利者の合意がなかなか整わないなかで、記憶などを頼りに、なるべく焼失前の各人の自宅に似せた家屋の模型を作り、これを換地想定図の上に並べて見せたところ、多くの権利者がそれを見て納得したという。また、高松の港頭地区でプロジェクトが難渋していた時、玉藻城を含む海浜プロムナードの夢を描いた一枚の絵が新聞に載ったのを契機に、このプロジェクトが知事選と市長選の公約となるのである。冒頭にも述べたが、やはり視覚の力である。

 先日ある研究会で、都市計画家とは何ぞやという議論をした時、ゼネラリストであることと画が描けることが重要であるとされた。これは結局のところ人を説得する力があるかどうかということにつながってくる。被災時のように緊急を要する時こそ視覚に訴えて合意形成を促進することが必要なのではないだろうか。そのための準備と練習を日頃からしておく心構えが欲しいものである。

 ところで、三位一体改革の裏で、地方公共団体における事務量の少ない部局は合理化されつつあると聞く。つまり、区画整理事業がないところでは区画整理課や区画整理係が廃止されるのである。国も廃止したのだから当然といわれれば仕方がないが、地籍や町名地番の整理、公図上の畦畔や廃川敷の処理、ひいては火災や洪水などによる被災地の災害復興に絶大な威力のある土地区画整理事業を、いざやろうとしても経験者がいなくてはできなくなってしまう恐れがある。区画整理は確かに複雑であり、権利者の土地が減ることによる反対も根強いものがあるが、全国の市街地のおよそ三分の一を今までに手掛けてきて、現在においても東京区部の全面積を凌ぐ、約65,000ヘクタールの全国の土地について区画整理が進行中であることを考えると、この事業をおろそかにすることの不合理さが分かっていただけると思う。今後とも大いに活躍してもらいたいものである。

4.おわりに

 以前から感じていることであるが、災害復旧の予算と比べて防災の予算は取りにくいことがあげられる。それは社会全体が防災を緊急事業として認識していないため、予算要求の時必要となる4要素、つまり必要性、緊急性、非代替性、経済性の説明が出来ないからである。従って、防災の予算だけは緊急性の考え方を変えて、取りあえず災害は明日にも発生することを前提としてはどうであろうか。そうすれば大規模火災や水害による人的、経済的損失等を計算することにより事業の必要性や経済性が説明できるであろうし、また、景観形成など災害が発生してからでは間に合わないような細かな配慮もできるであろう。ただし、災害がいつ来るかが分からないということは、住民の合意形成も難しいということにもなる。たまたま神戸の震災や山古志村の惨状を見た直後であれば少しはきっかけになるかもしれないが、大概の場合そのような迅速な戦略は、手順と前例を大切にする公的組織では立たないのである。これも旧聞であるが、ある県の担当者が国体に間に合わせるように事業を進めたいと本省の課長に陳情したところ、「国体は毎年日本のどこかで開催されるので、国にとっては年中行事である。従って、国体だからといって予算は優遇できない。」と叱られていた。しかし、これは正しいであろうか。およそ区画整理のような複雑な事業は権利者の合意形成について何らかのタイミングみたいなものがあり、それをはずすと実施できなくなるのではないだろうか。オリンピックでも国体でも、あるいはどこか他の地域での災害を見たことよる心理的高揚でも結構だから、できる時にタイミング良く実施できる体制と予算が欲しいものである。

 以上、思いつくままに若干の考察を述べてきたが、被災地の現場で頑張っておられる皆様のご努力に深甚のエールを送って筆を置く。

1)土木学会・日本建築学会他・阪神淡路大震災調査報告編集委員会「阪神淡路大震災調査報告・共通編3(都市安全システムの機能と体制)」p.179 丸善株式会社 1999年

2)建設省都市局区画整理課「建設省都市関係調査団の調査概要について」区画整理9505号、p.12、日本土地区画整理協会 1995年