2000 4.土地区画整理事業における合併施行の必要性とその促進方策に関する考察

「土地区画整理事業における合併施行の必要性とその促進方策に関する考察」

土地区画整理士・技術士(建設部門)・東洋大学教授・工学博士 

小 浪 博 英

 Study on Integrated Land Readjustment Project

Professor, Faculty of Regional Development Studies, Toyo University

Hirohide KONAMI (Ph.D.)

(本論文は平成12年11月14日、弘済会館において開催された

「区画整理フォーラム2000」において発表したものである。)

(キーワード:区画整理、合併施行、まちづくり)

1 はじめに

  土地区画整理事業は土地の交換分合のみを行う事業であって、上物を整備しないから、まちづくり事業としては未完成であるといわれることは、区画整理関係者にとって永年の課題となっている。法律によれば、土地区画整理事業は公共施設の整備改善及び宅地の利用の増進を図る事業であり、上物を整備しないことが決して悪いのではなく、上物整備は民活でやっている先進的な事業であるのだが、そこに計画性がないからいけないという論旨である。つまり、建物の位置、規模、形態、色彩等を完璧に計画することが、優れたまちづくりであるという一般的哲学に基づくもので、これについては多くの議論をしなければならないと考えられる。それは、人と社会は時々刻々変化するものであり、その変化を全て読み込んで計画を立てることが人間には不可能に近いからである。しかし一方では、せっかく区画整理をしたところに、まちが期待通りに育たなかったり、乱雑な上物が景観を壊したりしている例は枚挙にいとまがない。本論ではこのような観点に立って、上物整備のあり方、景観の作り方に触れながら、土地区画整理事業と市街地再開発事業等との合併施行の必要性とその促進方策を考察しようとするものである。

2 土地区画整理事業と市街地の形成

  区画整理済地における市街化は、基本的には地権者それぞれが各自の都合に合わせて建物を建築するので、場合によれば国会で昭和57年に問題にされたようなペンペン草の問題も生じることがある。また、せっかく自宅を新築したのに隣がいつになっても空き地で、住み心地の悪い思いをしている地権者が数多く存在することも事実である。だからといって区画整理そのものが悪者であるかのような世の中の風潮は許すべきではない。区画整理はある一定区域について、建物の新改築の時期や予定が全く異なる多くの地権者をまとめて公共施設用地を創り出す事業であり、公共用地を提供した、国民の模範ともいうべき地権者に対し、早く建物を建てろとか、土地を人に貸しなさいなどと強制することは適当ではなく、むしろ自発的にそうしたくなるような制度作りや啓蒙こそが必要なのである。

  建設省の調査によれば、市街化区域内の土地について区画整理済地とそうでない土地とを比較すると、区画整理済地の方が約2倍の早さで市街化することが分かっている(1)。これで十分区画整理の効果は発揮されていると考えることができる。むしろ、「住宅先行建設区」を上手に活用することが求められているのではないだろうか。

  参考までに、市街地の早期形成に資する各種手法を列挙すると次のようになる。

①       住宅先行建設区の設定による一部区域の早期市街化

②       保留地の活用による集合住宅の建設または生活関連サービス施設の早期整備

③       市街地再開発事業、小売商店街近代化事業等との合併施行による早期上物整備

④       立体換地制度の活用による早期上物整備

⑤       税制、融資等の優遇による早期建築への誘導

 区画整理済地の宅地並課税を徹底して市街化を促進しようという論もあるが、これは区画整理の立ち上げそのものを困難にする恐れがあり、本末転倒の議論である。宅地並課税については市街化区域全体の議論として市街化を促進させるためのツールであり、区画整理済地については集合農地区の設定等により一定期間の営農を認めることの方が、都市基盤整備のためには有利な選択であろうと考えられる。

3 土地区画整理事業と都市景観

  日本の都市が諸外国の都市と比べて景観が良くないということは、多くの識者が指摘するところであるが、それは必ずしも正しくはない。都市は人間の体と同様に年に応じて変化をするものであり、その課程で美しい部分もできれば見苦しい部分も出来て当然である。特に歴史の長い都市では古い景観と新しい景観とが混在するので、一般的には見苦しい部類にはいることが多い。これを防ぐには伝統的建築物群として保存するほかに、地区計画等により景観を統一することが必要となる。諸外国においても、たまたま新しい投資がなくて古い統一された景観が保全されている地区や、緑が多く保全されている地区が景観上好ましく映るだけであり、そのような地区であれば我が国にも数は少ないが存在する。都市全体としてみれば、日本の都市は都市基盤が貧弱なために見苦しく感じることが多いと考えられるが、部分、部分を比較すれば、東京や大阪の景観がロンドンやパリに劣るということは決してないのである。

  さて、区画整理済地についてみると、都市基盤はそこそこ整備されているはずであるが、なぜか人を唸らせるような優れた景観を呈しているとは感じられない。その原因を列挙すると次のようになる。

①       道路および公園の面積と緑化が不足している。

②       宅地が小規模なため庭木としての高木が少ない。

③       電線類とテレビのアンテナが林立している。

④       建物壁面の位置と色彩、屋根の形態と色彩、建物の材質や高さ等がマチマチである。

⑤       外溝、柵、塀等に統一がない。

⑥       看板類が乱立している。

⑦       施行者あるいは指導する立場の地方公共団体、組合、コンサルタント等の意識が、優れた都市景観の所までいっていない。

  これらは努力により解決できるものもあるが、②と③のように我が国固有の前提条件であって、解決が困難な問題もある。しかし、来るべき21世紀には日本の都市が更に美しくなるような区画整理をすることが必要ではないだろうか。都市は人間が演技をする舞台であり、舞台が美しければそこで演技する俳優も張り合いが出るというものである。上記課題のひとつひとつを地区別に吟味して、可能なところから実施に移すことが重要である。

4 合併施行の必要性

  ここでいう合併施行は、市街地再開発事業との合併施行の他、小売商店街近代化事業、住宅地区改良事業、住環境整備モデル事業、各種住宅供給事業との合併施行および地区計画、建築協定等をも含む、広義の合併施行である。

  合併施行の必要性は既に市街地の早期形成と都市景観の面から述べてきたが、ここでもう一度整理すると次のようになる。

①       合併施行により市街化が促進される。

②       合併施行により上物についても計画的配慮が可能となり、都市景観が向上する。

③       合併施行により区画整理単独では事業化が困難な地区においても事業化が可能となる。

④       合併施行により更に多くの投資が誘発され、地域振興に有効である。

①および②については既に述べたので、③と④について補足する。

(1)市街地再開発事業との合併施行

   市街地再開発事業との合併施行は、従来、区画整理地区内の権利者のうち再開発を希望するものの全員同意により再開発組合を設立し、第一種市街地再開発事業として施行してきたが、換地操作及び権利変換の面で多くの困難を包含していた。これが平成11年の法律改正により、区画整理区域内に「再開発区」を設けることにより合理的に両事業が連結されることとなり、第二種市街地再開発事業でも施行できることとなった。この流れを整理すると次のようになる(2)。

①       区画整理区域内(再開発の区域は内外にわたっても良い)に「再開発区」を設ける。

②       再開発参加希望者には「再開発区への飛び換地」を認める。

③       再開発区に工区を設定し、その工区に関する換地計画を定める。

④       再開発区について換地計画に基づく仮換地指定を行う。これを「特定仮換地」という。

⑤       特定仮換地を従前の権利と見なして再開発事業認可を受ける。

⑥       区画整理については特定仮換地相互間の仮清算を行う。

⑦       再開発の権利変換計画を作成し、再開発の90条登記を行う。

⑧       これにより、再開発参加者の従前地が再開発参加者の共有持ち分に変更登記される。借地権はこれも共有持ち分に変更されるので消滅する。

⑨       区画整理施行者はこれに伴い、再開発参加者の従前地が施設建築物の敷地に合筆された形態になるよう仮換地指定の変更をする。

⑩       再開発事業はこれ以降通常の手続きにより工事完了による101条登記、清算を行う。

⑪       土地区画整理事業による宅地の換地処分が行われるとき、再開発参加者全体と、非参加者全体との間に清算する必要があれば、これを行う。この場合、参加者相互間は既に仮清算が済んでいるので、この場合の清算は団体清算である。従って、清算金を共有持ち分の割合で再開発参加者全員が分かち合うことになる。

  再開発事業との合併施行については、立体換地のように建物の権利を整理後の評価に加えることはないので、地区全体としての減歩緩和効果はないが、通常再開発区が評価の高いところに設定されるため再開発参加者の減歩は大きくなり、それ以外の地権者は相対的に減歩緩和を受けることができる。また、再開発事業として上物が計画的に整備されるので、市街化の促進、都市景観の向上に果たす役割も大きい。さらに、再開発による建物建築費が多額となり、地域への経済効果が大きくなる。再開発区だけに限っても、区画整理単独の場合と比べて平均数倍の投資効果があるとされている。

(2)小売商店街近代化事業との合併施行

  小売商店街近代化事業との合併施行は共同店舗の建築や、個別店舗の改築に対し多くの税・財政上の優遇措置があり、これと区画整理の補償金とを合わせることによって、想像以上の商店街近代化が可能となるものである。また、事業区域内の商店がお互いの連絡を密にすることにより、商店街としての統一性が醸成され、市街化の促進、景観の向上、防災性の向上に果たす役割が極めて大きい。

(3)住宅地区改良事業および住環境整備モデル事業との合併施行

  密集住宅地での区画整理の場合、過小宅地の処理、借家権者の保護、建物移転の困難性などが事業の支障となる。住宅地区改良事業または住環境整備モデル事業との合併施行を行うことにより過小宅地の権利者や借家人を改良住宅又はモデル住宅に収用できることとなる。また、これら改良住宅またはモデル住宅を仮住居として利用することもでき、集団移転による区画整理事業費の大幅な軽減も期待できる。さらに、両事業が地区内に住宅用地を必要とするので、土地売却希望者の土地を優遇税制の下で買収することが可能となる。これらの土地は改良住宅またはモデル住宅の敷地として集約換地されることとなる。上物が計画的に整備されるので都市景観の向上、地域経済の振興等に果たす役割が大きいことはいうまでもない。

(4)地区計画および建築協定との合併施行

  これらは以上述べた合併施行と異なり、都市景観の向上のために有用な施策である。特に新市街地においてはせっかく買い求めた戸建て住宅の隣にマンションが建ってがっかりしたり、自分の家は生け垣にしたが隣はブロック塀というような好ましくない相隣関係が生じることがある。これらを防ぎ21世紀にふさわしい都市景観を維持するためには地区計画の導入、または建築協定の締結が是非とも必要である。特に塀、壁面、軒高、屋根を統一することは都市景観の上で極めて重要である。併せて緑化協定による高木の植栽を進めれば、さらに美しい町並みを形成することができる。

5 合併施行の促進方策

  合併施行の必要性については既に述べてきたが、その促進方策について検討してみる。

  合併施行が良いことは分かっていてもそれが実現されない理由は次のように考えられる。

①       市町村担当者がそれぞれの事業を十分理解していない。

②       市町村からの調査等の発注方式が競争原理の導入となり、質の高い民間コンサルテイングが出来ない。

③       国の助成制度が縦割りで、調整に時間がかかる。

 これらを改善するためには、先ず市町村の姿勢を直すことである。職員研修経費、先進地視察のための職員旅費、まちづくり調査費等の削減は、職員が新しい発想を持つ機会を失わせ、町の将来を取り返しのつかない事態に追い込む危険性がある。また、職員はこれらの機会を活かして人脈を形成していくのであるが、その機会を失えば人脈の形成も出来なくなるのである。

 一方、発注方式についてみると、コンサルタントの能力をみないで金額だけで仕事を進める競争入札方式が一般化し、随意契約はほとんど見られない。これでは施行 地区の所在する当該市町村に精通したコンサルタントが育たないばかりか、斬新なまちづくりができるはずがない。コンサルタントは弁護士・会計士と同様に知識産 業であり、いわゆる「業者」ではないのである。

 国の縦割り行政については、2001年から発足する「国土交通省地域整備局建政部町づくり課」が各地域を掌握し、総合的に指導できる窓口として育つことを期待する。

6 おわりに

 21世紀が真にまちづくりの世紀になるとすれば、そのなかで区画整理の果たすべき役割は極めて大きい。それは、我が国民の中に区画整理経験者が極めて多数存在し、他の町づくり事業経験者の数を桁違いに凌駕しているからである。技術検定試験合格者が1万人を超えた土地区画整理士をはじめ、関係者の一層の研鑽と努力がいま必要とされている。

 なお、本稿の作成にあたり日本土地区画整理協会理事、石田泰次氏から貴重なご意見を賜ったことに対し謝意を表する。

参考文献

(1)   松川隆行「市街地形成促進対策事業について」 日本土地区画整理協会「区画整理」

1982年(昭和57年)5月号

(2)「一体的施行マニュアル」全国市街地再開発協会、日本土地区画整理協会 2000年