2000 1.これからの都市開発に関する考察/国際地域学研究第3号

これからの都市開発に関する考察

小浪博英*

本論文は東洋大学紀要「国際地域学研究第3号」に掲載されたものです。

                    (2000年3月)

*      東洋大学国際地域学部:Faculty of Regional Development Studies, Toyo University

キーワード: 都市開発、まちづくり、戦災復興

Movements of Urban Development in Japan 

Prof. Hirohide Konami (Ph.D.) 

Large urban development in Japan started in the year of 710 when the national new capital called “Heijoh Kyo” was built. The most part of existing well planned urban areas have been developed after World War II by Land Readjustment Method and the total area of land readjustment projects reaches 369 thousand hector and almost one third of Densely Inhabited Districts. The rehabilitation projects for bombed cities of 102 out of total bombed cities of 215 contributed to popularize the land readjustment method into the citizens and to educate engineers and technicians in the field. On the other hand, Urban Renewal Projects started in 1969 developed about 1000 hector of core areas in down town and New Residential Area Development Project started in 1963 developed about 16 thousand hector in suburbs of metropolitan areas. It is necessary to improve above methods to establish sound urban areas in the coming century and to develop not only in down town but also in suburbs while the Central City Planning Council recommended in 1995 that the new trends of urban development should be focused to down town redevelopment. Because, we still have middle and low income groups who cannot pay for the high living cost in down town. It is also necessary to activate local municipalities by means of the improvement of transportation system, information system and the introduction of home consultants for urban development. Nowadays, most of municipalities do not have home consultants and they enforce the consultants competitive bidding system. Finally, the education of citizens are the most important issue to relieve the hazards of urban development and redevelopment.

1 はじめに

 我が国の都市開発は、古くは平城京の造営にさかのぼるが、現在残っている多くの市街地は20世紀になってからのものである。特に第二次世界大戦後においては、土地区画整理事業を中心とする計画的市街地整備が多くなされ、現在の人口集中地区の約3分の1に相当する市街地が土地区画整理事業により整備されてきた。

 本報告は、戦後の都市開発の経緯をふまえて、これからの都市開発の課題と方向を考察したものである。

2 戦後における都市開発の歴史的経緯

2-1 戦災復興

戦後の都市開発は戦災復興から始まった。1944年から45年にかけての空襲により被災した都市は全国で215都市、被災面積約65,000ヘクタールに及んだ。これらの都市を復興するため1945年12月に「戦災地復興計画基本方針」が閣議決定され、215都市のうち、被災状況、都市の性格等により選定された115都市を対象とする戦災復興土地区画整理事業を実施することが決定された。また、1946年9月に「特別都市計画法」が制定され、115都市、約60,000ヘクタールの地域が法律に基づく復興対象地区に指定された。それらのうち実際に事業が実施されたのは表1の102都市である。1)

 表1によると、約6万ヘクタールの指定地域のうち約29,000ヘクタールしか事業が実施されておらず、実施率は50%を下回っている。これは経済安定9原則、いわゆるドッジラインに基づき、1949年に事業の見直しが行われ、準備状況の悪い地区を除外したためである。施行面積が300ヘクタールを超える都市は青森、東京区部、横浜、川崎、長岡、岐阜、名古屋、津、大阪、神戸、西宮、和歌山、岡山、広島、福山、高松、高知、北九州、福岡、長崎、鹿児島であり、これに続くのが仙台、平塚、静岡、豊橋、四日市、堺、姫路、尼崎、今治、熊本などである。これら都市はいずれも都心部の道路が比較的広幅員で確保されており、戦災復興事業が果たした役割を今に伝えている。また、これらの事業は単にまちづくりを進めたのみならず、土地区画整理事業の技術者を育成したため、それらの人材が戦後のまちづくりに多大な貢献をした。

 一方、102都市以外の都市や102都市の中の除外された地区においては、1954年に成立した土地区画整理法に基づいて都市改造事業が実施され、その例は東京区部の高田馬場駅周辺、新宿三光町、西大崎1丁目などに見ることができる。

表1 戦災復興事業実施都市別施行面積(単位:ha)

函館市3.7熊谷市132.4名古屋市 3452.0那智勝浦町3.7熊本市292.3
釧路市21.5大宮市6.1豊橋市292.6境港市15.5荒尾市46.1
根室市60.5千葉市160.4岡崎市131.4岡山市350.6水俣市22.3
本別町18.7銚子市132.2一宮市  300.0広島市1093.2宇土市   16.0
青森市438.5東京区部1233.4津市300.9福山市382.1大分市101.7
盛岡市5.1八王子市158.6四日市市261.1下関市82.9宮崎市129.2
宮古市17.3横浜市793.5伊勢市141.8宇部市119.7都城市102.7
花巻市22.0川崎市614.4桑名市190.7徳山市181.6延岡市93.3
釜石市71.3平塚市230.3大阪市 3529.0岩国市46.1日南市   27.0
仙台市291.1小田原市6.7堺市294.7徳島市     242.0日向市10.8
塩釜市8.9長岡市312.7貝塚市1.7高松市358.2高鍋町17.5
郡山市121.9富山市   554.0東大阪市13.6松山市     348.0鹿児島市1043.9
いわき市51.9福井市   557.0神戸市2210.2今治市238.2川内市   87.0
水戸市   132.0敦賀市113.5姫路市208.9宇和島市119.8枕崎市118.3
日立市198.9甲府市54.7尼崎市234.4高知市366.3串木野市128.3
ひたちなか市19.8岐阜市477.2明石市  145.0北九州市386.2西之表市8.3
高萩市22.9大垣市169.8西宮市512.3福岡市328.6山川町27.2
宇都宮市143.7静岡市256.5芦屋市104.9大牟田市284.3加治木町53.2
鹿沼市6.8浜松市175.8和歌山市463.8久留米市152.3  
前橋市170.6沼津市158.2海南市4.3長崎市430.8  
高崎市10.9清水市   100.0新宮市8.3佐世保市     114.0合計29006.2

2-2 土地区画整理法の成立

 土地区画整理事業は1919年の旧都市計画法に基づいて耕地整理法を準用して実施されてきた。しかし、耕地整理法の規定を権利関係の複雑な都市地域に適用することは必ずしも適切ではなく、独自の法律を作るべきであると言う議論は古くからなされていた。特に1949年、土地改良法の成立によって耕地整理法が廃止されてからはその機運が高まり、1954年に土地区画整理法が成立した。従来の耕地整理法を準用していたものと比較すると、次の諸点が改良された。

①       土地区画整理組合の組合員として、土地所有者の他に借地権者を加える。

②       地方公共団体は大臣の命令がなくても自発的に事業を実施することができる。

③       案の縦覧を行うなどにより関係権利者や利害関係者の意見が事業に反映できるようにする。

④       過小宅地、過小借地、その他の希望者には立体換地として建築物の一部を与える制度を新設する。

 明治初期より耕地整理の枠の中で行われてきた区画整理は、このようにしてやっとまちづくりの基本的ツールとなり、区画整理設計標準の改訂と併せて我が国のまちづくりの根幹となったのである。

2-3 都市計画法の抜本的改正

 都市計画法はその原型を1888年の東京市区改正条例に見ることができるが、都市計画法として制定されたのは1919年である。この法律は旧都市計画法と呼称され、多くの権限が内務大臣に帰属していた。そのため、1954年の土地区画整理法の制定や、まちづくりの新しい息吹に対応するため、戦後日本にふさわしい都市計画制度の制定が必要となり、1968年に抜本的改正がなされた。この新法を新都市計画法と呼称している。

 新都市計画法の特徴は次のように考えられる。

①       多くの都市計画権限を地方公共団体に委譲した。

②       市街化すべき区域と、市街化を抑制すべき区域との区分、いわゆる線引き制度を導入した。

③       土地区画整理事業等の市街地開発事業制度を導入した。

④       乱開発を防止するための開発許可制度を導入した。

⑤       都市計画の決定プロセスの中に、案の縦覧と意見書の提出の制度を導入し、利害関係者の意見が都市計画に反映できるようにした。

 このような改正により、都市計画が真に住民のためのまちづくりになる基礎が築かれたということができ、国主導の都市計画から地方公共団体が主導するまちづくりに大転換したのである。

2-4 市街地再開発法の成立

 新都市計画法が成立して1年後の、1969年、都市再開発法が成立した。この法律に基づく事業を市街地再開発事業と呼称し、市街地の高度利用を図るため、土地の所有権、借地権等を建築物の一部の所有権、土地の共有持ち分等に変換する事業である。この事業の特徴は、土地区画整理事業の場合の保留地処分金に相当する、保留床処分金を事業費に投入できることであり、建築物の床が高額な地区において有利な事業である。なお、都市再開発と一般にいう場合は、既成市街地で施行される土地区画整理事業や市街地再開発事業によらない建物の計画的建替え等を含む。

2-5 地区計画制度の導入

 地区計画は都市計画の一手法であり、1980年に制定された。地区計画の特徴は、一般の都市計画では手の届かない細部にまで計画できることである。例えば宅地の細分化を防止するため、地区内における最小宅地規模を定め、市街地の景観を保全するため、建築物の意匠や色などを制限することなどができる。ただし、決めただけでは強制力が発生せず、強制するためには条例等により別途手続きを設けることが必要である。また、再開発地区計画、住宅地高度利用地区計画、幹線道路の沿道整備のための地区計画など地区計画の種類によって若干制度が異なる。

 このように、強制力を前面に出さずに、いわゆるガイドプラン的な都市計画を定めることについては、計画を柔軟に定めることができる一方で、違反した者に対する罰則がないなど多くの議論はあるが、住民の手によるまちづくりを推進するための強力なツールが導入されたと考えるべきであろう。

2-6 新たな問題の発生

 以上、戦後の都市計画の流れを知るための主要な制度作りについて述べてきたが、これらによって戦後のまちづくりが問題なく進んだとは言い難い。それらを列挙すると次のようになる。

①       市街化を促進すべき市街化区域と、市街化を抑制すべき市街化調整区域に区分はしたが、市街化区域の整備のための財源が十分でなく、また、住民の合意形成も困難な場合が多いため、市街化区域の過半が未整備のまま推移している。平成9年度末において、市街化区域または用途地域が定められている区域約174万ヘクタールのうち、面的に良好な市街地は約67万ヘクタールにすぎず、全体の約40%でしかない。残りの未整備市街地は防災上も環境上も好ましくはないが、計画的に整備するための合意形成手法、財源確保等が未だなされておらず、現在においては、このいわゆる線引きの制度を廃止してはどうかという議論さえ提起されている。

②       環境問題等に端を発し、住民の合意形成が複雑になってきたため、幹線道路や通勤鉄道の整備が計画通り進まず、自動車交通の渋滞、通勤鉄道の混雑等が未だに解消していない。結果として都心部商業活動の地盤沈下と郊外大規模ショッピングセンターの興隆を招き、都心部における空き店舗の増加などの社会問題を引き起こしている。

③       バブル経済の崩壊により地代、家賃等の下落を招き、土地区画整理事業における保留地の処分、市街地再開発事業における保留床の処分が予定通りの価格では困難となっている。このため、新規着工意欲の減退を招き、今後の都市整備に対する民間の参入が鈍化する懸念がある。

④       都市計画の地方分権を更に進める議論がなされているが、一方では地方公共団体、特に一部の県と町村における人材の育成が十分でなく、結果としてこれらの地域ではまちづくりの芽を摘んでしまう恐れがある。これは、それらの組織の中で必ずしもまちづくりの専門家が人事の主流ではなく、優秀な人材が他の部局に流れてしまうためと、地方公務員の人事が一般職的に行われることにより専門家が育ち難いことによるものである。このため、コンサルタントの活用が期待されるが、入札・談合問題の余波により、随意契約制度を忌避する動きがあり、地元に精通したコンサルタントの育成を困難としている。

3 市街地整備の実績と整備手法に関する課題

 主な面的整備手法である土地区画整理事業、市街地再開発事業、新住宅市街地整備事業についての実績は次の通りである。2)

      表2 主な面的整備事業の実績

事業の種類着工累計地区数累積面積1地区当り平均面積
土地区画整理事業10,688 368,989ha   34.5ha
市街地再開発事業      643   1,003        1.6
新住宅市街地開発事業    49  15,812  322.7

        (土地区画整理事業は1996年度末、他は1997年度末の実績)

 この表を見て分かるとおり、新住宅市街地開発事業は地区面積が大規模であるが地区数が少ない。これは、同事業が用地の全面買収方式であるため、適地が大都市周辺の新市街地に限られ、しかも山林等の比較的土地価格の低いところでしか施行できないためである。一方、市街地再開発事業は既成市街地の中で施行されるため地区面積は小さいが、駅前など人目を引くところで施行されるので、都市の活性化に果たす役割は大きい。土地区画整理事業はそれらの中間で、歴史も長いため、かなりの面積規模を保ちながら広く施行されている。

 これらの事業を今後とも円滑に推進するためにはそれぞれ次のような課題がある。

(1)土地区画整理事業

①       公共用地や保留地を生み出すための減歩に対する権利者の理解が十分でない。これは、

個別に開発すればそれらの土地を供出しなくても良いのではないかという誤解に基づく

もので、良好な市街地を形成するためにはたとえ個別開発であっても必要な道路、公園

等は整備する必要があるのみならず、工事費として土地区画整理事業による保留地処分

金を活用すれば、税・財政上の優遇措置があるのであるから、土地区画整理事業制度を

活用する方が有利であることは自明である。良好な市街地としない個別開発を認める限

り権利者の誤解は解けない性質があるので、その点を啓蒙、指導すべきである。

②       農地を含んで施行する場合の生活再建策が十分でない。土地区画整理事業地区内に農地

を残すことは、市街地の形成上好ましくないので、営農を継続することを希望する権利

者に対する抜本的対策を考えるべきである。営農継続を希望しない場合はアパート経営

等の指導を十分することにより解決できる。

③       既成市街地で施行する場合は保留地の確保が困難となるので、立体換地制度を拡充して、

保留床を事業費に投入できるようにするべきである。市街地再開発事業との競合が問題

となるが、権利者に幅広い選択を与えることを躊躇すべきではない。地方公共団体の担

当者の中には、土地区画整理事業は得意であるが、市街地再開発事業は良く知らない、

またはその逆の場合が多々見受けられるので、それぞれの得意分野でまちづくりを進め

ることを妨げてはいけない。

(2)市街地再開発事業

①       土地を高度利用するための事業であるが、計画地の土地を何故高度利用しなければなら

ないのかという点についての権利者の理解を深める必要がある。たとえ木造平屋などの

低利用であっても、先祖伝来の土地に住んでいるのだから問題はないとの観念が強い。

しかし、まちは生き物であり、時代に応じて高度利用すべきところは再開発していくこ

とが全体の公共福祉の向上に資することになるのであって、この点についての住民に対

する啓蒙と住民の理解が不足している。

②       再開発計画地の中に、従来通り一戸建てで住み続けたいという希望を有する権利者に対

する対応が十分でない。解決策としてはこれらの権利者の権利を公的に買収して地区外

に移転してもらうか、地区内に土地区画整理事業と同様に換地を与えるかしかないが、

後者については土地区画整理事業との競合があるとの理由で未だ認められていない。土

地区画整理事業との合併施行で解決できるものではあるが、前述の通り地方公共団体の

選択の幅を広げることが必要であるので、競合の問題はむしろ選択肢が増えるものとし

て受け止めるべきである。

③       市街地再開発事業は拠点的に行われるため、周辺市街地との摩擦を生ずる場合がある。

日照、通風から交通に至るまで、周辺市街地との調和を図ることが重要である。

(3)新住宅市街地開発事業

①       新住宅市街地開発事業は大規模ニュータウンづくりの事業として制度化された経緯によ

り、現在でも大規模でないと施行できないという先入観がある。しかし、法令では人口

規模6000人、ヘクタール当たり人口密度300人、言い換えると、理論上は20ヘ

クタールでも施行できるので、この点を広く啓蒙すべきである。開発許可による民間開

発とは異なり、公的主体がまちづくりの規範を示すという意味で税・財政上の特典も多

いのであるから、たとえ面積が小さくとも本制度を積極的に活用すべきである。

②       事業地の土地の処分について制約が多く、板倉ニュータウンの例をとると、地区内に学生アパートが未だ建設されていない。これは事業計画および処分計画が詳細に決められており、その後の情勢の変化についていけないということによるものであって、まちづくりの支障にならない限り処分地の有効利用についてはもっと弾力性を持たせるべきである。

4 市街地整備の新しい課題

21世紀を間近に控え、市街地整備に対しても多くの新しい課題が生じている。

その第一は未整備既成市街地をどうするかという問題である。これらの地区は防災上の問題を有するのみでなく、現在都心部で生じている空き店舗問題同様に、廃屋問題が生じる恐れがある。これらの空き家を公的に買い上げて、ある一定以上のストックができた段階で区画整理なり再開発なりを行うのが望ましいが、そのための制度、財源が準備されていない。

第二は、いかに住民参加を円滑に進めるかという問題である。地方公共団体を中心として公的主導で進めるのが望ましいが、前述の通り、そのための人材を有する地方公共団体は限られており、大部分は民間のコンサルタントに頼らざるを得ない。しかしながら、大半の市町村はコンサルタントを一般の業者とみなし、長期契約を結ばないため、顧問会計士や顧問弁護士のような専属のコンサルタントが育っていない。

第三は、情報化社会への対応、歴史とうるおいへの回帰等に代表される新しいまちづくりのうねりをどう受け止めるかである。情報化を例にとれば、まちづくりにおいてもインターネットの活用が広がっており、特に若い世代についてはすでにホームページによる双方向の情報交換が始まっている3)。しかしながら、インターネットの場合は利害関係者かどうかの見分け、市民かどうかの確認等のソフトが未だ確立されておらず、また、高齢者等を中心にインターネットに対する拒否反応を示す世代も存在する。

今後においては、以上のような新しい課題に積極的に対応することが求められている。

5 これからの都市開発の方向

 1995年7月の都市計画中央審議会答申では、これからのまちづくりについて中心市街地の活性化が重要であるとされている。郊外でのニュータウン開発はむしろ二の次である。確かに既存社会資本の有効活用の面では正しい選択であろうが、地代・家賃の比較的安い未整備市街地か郊外にしか住めない中・低所得者はこれで満足するのであろうか。まちづくりは交響楽団にも比肩される総合的シンフォニーであることを考えると、やや片手落ちであるといわざるを得ない。日本のまちは住宅地の中にも雑貨屋が存在するごとく、欧米とは違った発展をしてきたのであり、郊外は郊外で日本にふさわしい住、商、工が適切に混在するまちづくりもあるはずで、そのような郊外が未だ形成されているとは言い難い。郊外を一層成熟させる必要があると考えられる。

中心市街地は道路、公園、駐車場等が不足している現状を直視すべきではないだろうか。その整備が実現できる見通しがない限り、結果として中心市街地が従来のような商業中心のみではなく、住機能を十分に持った高齢者に優しいまちに変革されていくことも選択肢としては考えるべきであろうと思われる。そのためには、現在の中心市街地機能の受け皿として、郊外の整備が重要となるのである。

 大都市と中小都市との関係においては、交通網の整備がどうなるかによるが、相互依存関係が維持されたまま推移すると考えられる。人口減少の局面において多くの中小都市は活力を失うこととなるが、それなりに地方の生活を満足できるまちづくりを実現するチャンスでもある。これら中小都市の喫緊の課題は、前述の空き店舗、廃屋を見苦しくしないための制度作りと、新しい感覚によるまちづくりへの情熱である。

6 おわりに

 戦後のまちづくり制度の変遷とこれからの都市開発の課題について述べてきたが、全国人口が減少することは我が国にとって初めての経験であり、従って、それに対応する制度や考え方が確立されていない。土地所有者はあくまでも土地の権利を主張し、既存の住民は現状維持を訴えてだけいたのでは、新しい感覚で21世紀を生きて行こうとする新しい世代に対応できないことは明らかである。みんなでまちづくりを真摯にとらえ、公共の福祉の向上のために多少は私権を犠牲にしてもやむを得ないという認識を一人一人が自覚したとき、初めて新たな世紀に対する対応が可能となる。そのための人材の育成が急がれている。

参考文献

1)土地区画整理誌編集委員会編「土地区画整理のあゆみ」(社)日本土地区画整理協会

  pp.277 – 422、1996年

2)建設省都市局監修「都市計画ハンドブック1998」(財)都市計画協会 pp.88 – 102

1998年

3)木村 淳「インターネットの市民参加への活用可能性に関する考察」土木計画学研究・講演

集20-(2)、pp.325-328、(社)土木学会、1997年