1998 2.首都機能移転の課題/「建設オピニオン」Vol.5 No.2

首都機能移転の課題

Issue on the Transfer of National Capital Functions

(「建設オピニオン」Vol.5 No.2, 1998, 掲載)

                                                東洋大学国際地域学部教授      小浪博英

1 問題の本質

 国会等移転調査会報告にも記述されているが、首都機能の移転という課題が議論される背景には、大別して三つの動機があると考えられる。

 一つめは、司法、立法、行政という国家機能の効率性と信頼性の問題である。現在、これら国家機能の中枢は東京という巨大都市に飲み込まれ、効率的に機能すべく努力しようにも、オフィススペースの問題、住宅問題、通勤問題、交通渋滞等により阻害されてしまっている。オフィスには来客を応対したり、資料の蓄積・分析のためのスペースはほとんどなく、職員住宅は量も質も十分ではない。しからば持家を目指して住宅を探せば、片道90分は覚悟である。これではオフィスでスタッフに分析をさせたり、海外からの友人を自宅に招くこともできない。仲間内で夫婦同伴のパーテイをやろうとしても、各人の住宅は八方に広がり、片道1時間以上もかかるとなれば、集まることもできない。これは国家機能に勤務する人たちだけでなく、東京都心に勤務する人たち全員の悩みであろう。その中で、東京都庁は早々と新宿に転出したが、続いて国家機能も転出させたらという問題としてとらえることができる。都庁や国家機能は必ずしも都心に立地している必要がないであろうということである。また信頼性の面では、ひとたび東京が地震、洪水、大雪等の災害に見舞われた場合、一体何人の職員が出勤出来るであろうか。神戸での地震の経験からすれば、まともな勤務体制が早期に整うことは全く期待できない。せめてこれら国家機能の中枢に勤務する職員が、効率よく、かつ、信頼に応えうる仕事ができるような環境を整えようとするものである。

 二つめは、国会開設100年を記念してなされた「国会等の移転に関する決議」に見られるとおり、日本が真に国際的な近代国家となることを願って、何らかの節目をつけようということである。江戸幕府、明治政府、大正・昭和の時代を通じて蓄積された諸々の塵を一掃し、心機一転新しい課題に立ち向かうためには、国会と政府機関を移転するのが最も手っ取り早いであろうことは、誰しもが日頃の引っ越しの経験から察するのに難くはない。

 三つめは、地方の振興のための東京からの機能の分散を、国家機能を担う人たちで、身をもってやってみようということである。従来、地方の振興は全国的な交通網の整備と地方における産業開発で実践されてきたが、依然として東京が巨大な人口・産業の吸引力を発揮したため、均衡ある国土の発展が期待通りには進まなかった反省にたち、東京のシンボルともいうべき国会と中央官庁等を東京から転出させることにより、東京への志向圧力を少しでも軽減させようということである。

 これらの背景を踏まえて首都機能の移転をいかにすべきかということであるが、仮に、現在までに先人がなしえなかった上述の問題に対し、今度こそ首都機能の移転なくしても解決できるという名案があれば、それを検討すべきであろうし、あるいは、これら三つの動機が取るに足りないものであるとする人がいるならば、その意見に傾聴し、その真偽を明らかにするべきであろう。そのための時間が多少長くかかろうとも、それは決して時間の無駄とはならないと考える。その結果として首都機能の移転が必要だということになるのが道筋であると思われる。

2 東京都の反論

 これに対し、インターネットにより東京都の検討状況を調べてみると、7つの問題について優先的に検討すべきであるとしている。それらは、地方分権・規制緩和の問題、国際都市東京のあり方の問題、首都機能の移転が全国各地の活性化に及ぼす効果の問題、震災時の情報バックアップ体制の問題、展都・分都による効果との比較の問題、日本の首都とは何かという哲学の問題、および、費用・効果の問題とされ、さらに、今こそ過密解消、混雑緩和、職住近接の都市政策を進めるべきであるとしている。いずれも大切なことではあるが、昭和30年代に首都移転論が叫ばれた時にもこれらの問題は存在していたのであり、それからの約40年の間、どれほど議論が進んだであろうか。首都機能の移転と首都そのものの問題とは切り離して考え、ここでは前者のみを議論の対象にするとしても、過密解消、混雑緩和、職住近接が来るべき時代に間に合わないからこそ国会等の移転決議がなされたのではないだろうか。むしろ、首都機能の移転が都民にどのような影響を及ぼし、移転跡地がどのように活用できるかを明らかにすることが必要であろうと思われる。

3 新都市のイメージ

 ところで、仮に首都機能が移転するとすれば、その移転先のイメージの問題がある。首都機能の移転先として立候補している全国各地についてインターネットで検索してみると、具体的なイメージが伝わってくるのは浜名湖庄内半島と伊那谷だけであり、他の候補地はイメージが伝わってこない。小笠山、阿武隈高原、千歳空港周辺は遠景のみになっている。アクセスするのに困難を伴う候補地もあった。首都機能の移転を国民的に議論するためには、もう少し電子情報の活用を考えたらどうであろうか。

 ここで、筑波とキャンベラでの1970年代半ばと、1990年代半ばの2回にわたる体験に基づき新都市を考えてみると、初期における居住者への生活関連サービスはあまりにも悪く、交通はマイカー以外は不便きわまりない。移転が瞬時にして終了し、当初から大きな需要が発生することは物理的にありえず、初期移転者の生活を支えるために、近くの母都市への高速、高頻度、低廉、安全、快適な交通機関を終日サービスさせることが必要になるのではないだろうか。新都市で全ての生活関連サービスを最初から用意することはできないであろうし、母都市から通勤するパターンがあっても良かろうと考える。さらに、かなり移転が進んだ状況を想定してみると、筑波もキャンベラも現在では相当なバスサービスがあるが、これらを外来者が使いこなすことはほとんど期待できない。これは低密度で面的に広がった市街地の持つ宿命でもある。これを克服するためには、鉄軌道沿いのリニアパターンに都市機能を配置するか、大規模建築物の中にまち全体を収容してしまうかの選択しかないであろう。新しい移転先において首都機能が最初から効率よく発揮されるためには、機能配置の段階的検討のもとに、必要なサービスが満足出来るレベルで最初から供給されている必要がある。

 首都機能の移転の問題に関してはあまりにも多くの議論すべきことがあり、短期間の内にこれを国民的なコンセンサスに持っていくのは不可能に近い大仕事であろうが、ひとつずつ困難を乗り越えて、一日も早く望ましい結論に至ることを期待するものである。